namamugichanのブログ

どうも生麦です。気になった小説についてとりあげます。おすすめあったら教えてください。

花房観音 「桜の里」

「見せてやれよ、東京中の男に。たくさんの男を落としてきた穴を」

主人公の鈴香は、男に愛を売る娼婦です。小説は短い四十ページほどですが、鈴香の人生の幼いころから四十代までの長いスパンが語られます。愛という虚構を巧みにうみだし、引き換えに金銭を得ることは決して褒められることではありません。なぜ彼女はそのようなことを生業とするようになったのか。愛とセックスは翻弄されているのは彼女だけではないはずです。程度の差こそあれ多くの人が経験することを下地にして、嘘をつき、男を誘惑し、金銭を搾取し、しだいに男を絶頂のまま殺すようにまでなる鬼が生まれる様は身近に潜む落とし穴を意識させられるようで、身震いするものです。この物語が単なるフィクションとして考えられないのは、実際にこのような人物像が時折ニュースとして世間を騒がせるからでしょう。物語終盤、彼女が生活を共にする男がでてきます。なぜふたりは、飽きるほどしてきたはずのセックスに再び夢中になったのでしょうか。身体の相性とは不思議なものです。私たちの心は身体に従わされているのかもしれません。

どんなに乱暴で力がある男でも、ここだけは女が意のままにできるのです。(中略)男がこのような自分の意にならない醜い棒を持つ限りは、男は女に勝つことなんて、できません。

 

ゆびさきたどり (新潮文庫)

ゆびさきたどり (新潮文庫)

 

 



カズオイシグロ「降っても晴れても」

 短編集「夜想曲集」に収められているこの作品は、コメディのようなテイストで笑いがありつつも人生を振り返る深みのある作品になっています。大学時代を音楽を通して親しくなった主人公レイとのちに夫婦となるチャーリーとエミリの三人。主人公レイはもうすぐ50歳にもなる頃となり、チャーリーに呼ばれチャーリー、エミリ夫婦の家を訪れます。そこでレイは、チャーリーから夫婦仲がうまくいっていないことを聞かされます。夫婦仲を昔のように良くするためにレイが必要だとチャーリーは話します。そしてレイはチャーリーが出張でいない2、3日の間エミリと過ごすことで夫婦を良くするため頑張ります。

 人生における上昇志向は必要ですが、人間関係の毒にもなります。レイの現状はお世辞にも良いとは言えないません。エミリにレイの今を知ってもらい、エミリに自分とチャーリーとの暮らしぶりは悪くないと気づいてもらうことがチャーリーの思惑です。物語が進む中、レイがエミリの秘密の日記帳を誤ってぐしゃぐしゃにしてしまいます。それを隠すために行動することから、物語は思惑のすれ違いで笑いが生まれます。

 

 

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

中村文則 「世界の果て」

著者の中村文則さんは、デビュー作が「銃」で「R帝国」「教団X」などの作品を書いた作家さんです。一時期書店に「教団X」が山積みになってるのをみた人も多いのではないでしょうか。本書のあとがきやインタビューなどでも自身の暗さについて言及していて、作風にもそういった面が表れています。

明るさは時に人を疎外するし、明るさは世の中に溢れていると語っていて自身の暗さを武器にして小説を書いているようです。「世界の果て」もそういったものです。

 

追い詰められていく人びと

生活の中で徐々に追い詰められ世界の果てに行き着くというのがテーマです。五つの独立した章からなりそれぞれの登場人物を通してこのテーマが描かれます。順に上げていくと、

  1. 家に帰ると部屋には自分では抱えきれない歪んだ自分の個性が死んでいるのを見つけ、捨てる場を探してさまよう
  2. 絵を描く男が創作する中で生活に行き詰まり、部屋での苦しみに耐えかねて外に出る
  3. 学校、社会の中でうまくいかず鬱屈した思いを抱く少年
  4. 行き詰まると失踪し、生活を変える男
  5. 苦しいながらも、個を保つべく抵抗する男

 

自分の個性が歪んでいることで社会にうまく適合できないでいることってあると思います。そんな時にとる行動もまた三者三様でこの小説内で言えば、自我を殺す、創作に没頭する、社会に刃を向ける、周りを変える、苦しいながらも抱え込む。ただそれぞれが孤立し、お互いの状況がわからないだけでこの小説では顔を合わせるような近くに苦しむもの同士がいたりします。意外にも似たもの同士のスモールワールドでお互い差し伸べる手で助け合いが必要なのかもしれません。

 

 

世界の果て (文春文庫)

世界の果て (文春文庫)

 

 

 

又吉 「劇場」

流れ続ける時代の中で誰にも取り上げられずに忘れ去られて行く記憶の一つ一つを、彼等は安易なロマンチシズムに溺れることなく、残虐性に酔うこともなく、現代の適正な温度で掬ってみせた。もっとも、その温度が僕にとってはひどく冷たいものとして感じられもするのだけれど。

これは、主人公永田が成功する同世代の小峰の劇団の公演を見にいった際の感想です。「現代の温度」は小峰にとっては武器とし表現できるものであっても、永田にとっては酷なものなようです。才能という言葉が作品を通してたびたび出てきますがこれが才能の差なのかもしれません。

 

作中の永山には沙希という彼女がいます。彼女もまた自分の夢のために東京に来た一人です。作品の前半で沙希は暗く沈んでいた永山の生活にさした希望の光でした。彼女の表情の中に演劇の上での活路を見出すシーンがあります。

「怒ってるのに笑ってたり、泣いてんのに疑う顔してるときあんねん」

「どうゆうこと?笑いながら殴るヤクザみたいなこと?」

「そうじゃなくて、正直すぎて感情をどれかひとつに絞られへんねやと思う」

(中略)

どの感情とも断定できない人間の表情に惹かれる。それは僕が脚本に費やす数行の言葉より遥かに説得力があった。

しかし、ここで掴んだ感触も厳しい現実の中では劇団をほんの少し盛り上げるくらいにしかなりなません。そうした中で徐々に二人の生活の影が目につくようになっていきます。

 

この作品は、読んでいるとついふたりのハッピーエンドを思い描いてしまいます。でもその期待は作中では叶うことはありません。それが表現を志すものの100人いたら99人の当たり前なのかもしれません。厳しい視点から描かれています。ただし最後までふたりの間には愛がありほっこりとする空気があったことでまだハッピーエンド期待してしまいます。

 

又吉の作品を読んだのは、これが最初で想像よりすごくてびっくりしました。映画化するそうで映画楽しみですね。映画を観たお客さんがもやもやして帰っていくでしょうね。ハッピーエンドの追加を期待しています。

 

 

劇場 (新潮文庫)

劇場 (新潮文庫)

 

 

 

夜の嵐 星新一

夜の嵐は、主人公の美矢子が自宅に帰るシーンではじまり、においの感覚に優れるという美矢子は自宅に溢れる嫌な予感に気づきます。その予感は的中したかのように嫌な出来事が、美矢子に立て続けに降りかかります。しかしそのどれもが自宅をでてしまえば、まるで何もなかったかのように元通りです。美矢子は、この幻覚のような症状の原因が自宅にあると考え、室内を歩き回ります。すると見覚えのない箱が見つかります。

箱といってもありふれた外見でなく    (中略)      宝石箱とでもいったものだ。

それでいて、滲み出るような邪悪さを発揮していた。



美矢子がその箱に手を伸ばすと後ろから声が聞こえ、未来から来たという青年が現れます。この青年によって、美矢子は箱の効果とその使用目的を知ることになります。

「で、どんな働きをする装置なの、それ」

「そばの人間の心に反応し、いやだなと思うことを拡大し、幻覚として感じさせるのです」

 

この箱は現代人にとっては苦痛というレベルのものですが、未来人は退屈を紛らわすエンタメのものとして使うようです。ストレスは度が過ぎれば苦痛でも程よいものならエンタメとして楽しめるのかもしれません。それにしても未来人のエンタメは度が過ぎているように思います。でももしかすると私たちが普段危険と感じることは、技術的に克服されていて未来人にとってはなんてことないのかもしれません。普段ストレスに頭を悩ませている人には、未来人は嫉妬してしまうくらいです。ストレスはネガティブなものとしか考えませんが、星新一にしてみたら生きている実感が得られるステキなものなのかもしれません。

 

 

マイ国家 (新潮文庫)

マイ国家 (新潮文庫)

 

 

 

ねむりウサギ 星新一

「ねむりウサギ」は、古典的な昔話「ウサギとカメ」を星新一流のアレンジで書き上げた作品です。原作から引き出される教訓とは、異なる教訓が得られるものに仕上がっていて作者のオリジナリティを感じます。話の筋はカメとの競争で負けたウサギはプライドが高く、のろまなカメに負けたことに納得行かない。再戦、再再戦、再再再戦、‥‥と挑み続けるのですがカメに勝てないというものです。

ウサギはカメの前に立ち、興奮のふるえ声で言った。

「侮辱されて黙っているわけにはいかぬ。競争だ。どちらが早いか、正々堂々と勝負しよう」

きっかけは些細なことですが、カメとの競争にはウサギは全く勝てません。なんども挑みますが勝てません。ウサギがカメ相手だからと、油断しているわけではなく。むしろ勝つためにウサギは、努力します。勝てない原因をいろいろ考え対策を講じるのです。しかしその努力はことごとく裏目に出てしまいます。

 

最終的にウサギは神に祈るまでになります。

祈りが終ると、すがすがしかった。さまざまな雑念はすべて消え、からだは今までになく快調。今日こそは必ず勝てる、勝つのは、今日以外ありえないとの予感がした。

しかしこの競争の途中でウサギは、倒れ二度と目覚めぬ眠りにつきます。この競争の後メディアがこの競争を取りあげます。ここで組まれた大特集の主役は、負けたウサギで、勝ったカメではありません。

 

この作品は、一見するとひねくれていてわかりにくいですが壁を越えるための努力がテーマとなっているように思います。ウサギの努力する姿にこころを打たれる読者も多いと考えメディアは、ウサギの大特集を組んだのでしょう。ただしこの作品では、ウサギの努力が実を結ぶことはついに有りませんでした。ここは他の努力を讃える作品と異なり、シニカルな要素を感じます。努力は実らないこともあるが私達にとって重要なテーマであるはずです。ウサギのように死ぬまで努力する姿に自分を重ねられたらひょっとすると幸せなのかもしれません。

 

「ねむりウサギ」は文庫本「マイ国家」の31編の一つとして収録されています。

マイ国家 (新潮文庫)

マイ国家 (新潮文庫)